小学3年生でも分かる「世界はなぜ存在しないのか?」マルクスガブリエル

小学3年生でも分かる「世界はなぜ存在しないのか?」マルクスガブリエル

■哲学書では異例のバカ売れ商品

哲学書としては異例の30万部?だったかな。

売れまくっている本がある。

その名も、「世界はなぜ存在しないのか?」

マルクスガブリエルか書いた本になる。

マルクスは、哲学をなるべく分かりやすいように

伝えることを心掛けたみたいだね。

 

 

マルクスは、「なぜ世界は存在しないのか?」

という質問を投げかけているけど、

これは一体どうゆう意味なのか?

それは、例えば、ふつーに人間が見ている世界がある。

赤いマーカーがある。

という、いつも通り見ている「見え方」。

このマーカーが絶対に、手のひらの上にあって、

色も赤で、大きさも手のひらの上に乗る

「20センチ」の大きさとして見ている、とする。

それが全体じゃないよ、と投げかけてる。

全体を見ているんじゃなくて、一部分を見ているから、

マーカーは、赤、20センチ、てのひらの上にある、というのは正しくない。

と言っている。

ん?

ちょっと分かりずらいかもしれないので、別の角度から。

例えば、電子顕微鏡並みの精度の高いメガネを

生まれた瞬間から、ずっとかけている人がいるとする。( そんな人はいないけど、空想ね。^_^)

その人が、その赤いマーカーを見たときに、

ふつーの人間がみる「赤」「20センチ」「手のひらの上」と見えるだろうか?

答えは、見えない。

分子、原子で見えてしまうので、色も、形も、そこに存在している、ということも、

ふつーの人間が、見ている世界とは違う世界を

見ていることになる。

マルクスが投げかけている

このメッセージは、ふつーの人間が見ている世界と、

電子顕微鏡メガネをかけている人が見ている世界。

この2つの、どちらが正しの?

という問いかけにもなる。

あなたは、どっちが正しいと思います?

■人間は全体を捉えることは出来ない

人間がふつーに見ている世界。

さっきも言ったけど、赤いマーカーを見る人間。

誰もが1本で見えるかもしれないけど、

それは人間の目で見るから、そう見えるだけなんだ。

と、マルクスは言っている。

人間が「目で」見ている世界は、絶対に正しく、

真理そのもので、全てを、全体を捉えているという

強烈な、強烈な思い込みが強い人は、

「なぜ世界は存在しないのか?」の本は

何を言っているのか、さっぱり分からないと思う。

単純に、ふつーの人間か見る世界と、電子顕微鏡メガネをかけている人が見る世界は、違う。

この2人は、見ている世界を共有できない。

全体とは、例えば将棋の台をみて、全体を捉えてることができる状態。

例えば、

顔を近づけ過ぎて、将棋の駒の「金」だけしか見えない、ふつーの人間と、

同じく顔を近づけ過ぎて、

電子顕微鏡メガネをかけている人が将棋の駒の「歩」だけしか見えない。

そんな状態で、2人が話をしたら喧嘩になる。

「金は、斜めに行けるから!」

「いやいやいや、歩は、前にしか行けないし。」

「歩って?何それ?バックも出来ないって、めちゃくちゃだな、おい。怒」

話が噛み合わなさすぎて、喧嘩しか起きない。

なので、マルクスは、人間は将棋の台全体を見れなくて、

1つの駒の動きだけしか見れない。

それは、部分しか見えないので、全体性(将棋の台)を見ることは出来ない。

だから、世界というのが全体性である

将棋の台にあたるので、

世界という全体性を見ることは出来ないので、

世界は存在しない、と言っている。

■まとめ

なぜ世界は存在しないのか?と投げかけている。

それは、人間が全体という、世界をキャッチすることが、そもそも、不可能だから、と言っている。

だから世界は存在しない、ということを語っているが・・・

「なぜ世界は存在しないのか?」という問いについては、答えてない。

この本の正確な問いは、

「人間はなぜ全体を捉えることができないのか?」

という質問にかろうじて、答えているに過ぎない。

なので、「なぜ世界は存在しないのか?」の質問に

正確に答えるためには、

「なぜ世界は存在しているように見えてしまうのか?」

という問いに答えれないと、答えることは出来ない。

なので、まとめると、世界を見ているのは人間なので、

「人間とは一体なにか?」

という質問に答えられることが、この哲学書の言わんとしていることが、もっと鮮明に、もっと理解出来るようになる。

なので、次回は人間とは何か?というテーマで

語りたいな、と思います。

それでは、また。