個人主義「だけ」の世界を終わらせて、全体という裏付けすることの必要性
- 2018.12.19
- 我慢しない生き方
今日、宇宙のことを当たり前のように語れる
ステキな方をお茶をして、シェアしていく
中で自分の中で、どんどんイメージが膨らみ
いろんなモノが整理、整頓されたので、それを
書きますね。
■人間とは何か?が分からないと誰かにコントロールされている
あなたは人間ですか?
と、唐突に質問してみる。
人間だ、と思っているならば、人間として
どう生きるのか?
それが分かりますかー?
手足は何のために動かすのか?
考えは、何のために考えるのか?
なぜ、人間は地球上に存在して、どこから
来て、どこに向かっていくのか?
その全体像の仕組みが分からないと、
誰かに作られた「こうだ」という生き方に
従うだけのただの奴隷のような人生を送ることに
なるな、と本当に思った。
■今の時代に生きる人間は「こう生きるべきだ」に掴まれている
奴隷のような人生って言いましたけど、
奴隷になっていることにも気づけないので、
客観的に解析すると、何の奴隷になっているのか?を自分なりに伝えたいな、と思います。
それは、言わずとも知れた、お金ですね。
( 言わずとも知れた、とか表現合ってるかな、ま、いいか。。)
お金に支配されて生きているのが、今の時代の
人たちの共通認識だということは、何となく
分かると思います。
だから、社会に出ると、お金を儲けなくちゃいけないにも関わらず、
お金儲けのやり方を学校で教えないのは、
明らかに変。
資本主義社会は、お金が血液にあたり、それを
循環させる社会だから、
お金をどう動かすのか?どう循環させるのか?
が、とっても大事だし、お金儲けをすることが、
世の中に価値を生み出した基準になるので、
めっちゃくちゃお金の本質、お金とは何か?
という学びは大事であり、生きることと直結するのに、お金のことを教えない
学校教育って何?と疑問が生まれた。
■お金とは一体なんですか?
では、お金とは一体なんでしょうか?
お金。
もう資本主義社会では、お金持ちになれば、
成功、幸せ、自由になれる。
というイメージが世間一般的にはあるかも知れませんが、
人間とは何か?が分かると、お金も1つの人間が
作り出した道具であって、
何のためにお金が生まれたのか?もよく分かるようになるので、
成功、幸せ、自由のイメージがガラッと変わってしまう。
その境地になると、お金持ちになる、とか、
貧乏になる、とか、そこに囚われずに、
お金は価値の交換、エネルギー循環だ、ということすらも超えて、
もっと深いお金の本質が見えてきます。
人間が明確に分かることでお金が、
人間を秩序化されるための道具という
ことが見えてきます。
そう、お金というのは無理やりですけど、バラバラな人間の価値観を1つにまとめることに成功した
人類史に残る大貢献なんですね。
■人間は飼いならされた家畜みたい
人間を秩序化させるための道具がお金と
お伝えしましたが、
この世界では、お金という紙切れを自由に刷ってバンバン市場に回して、循環させて、そして利子を取る中央銀行という存在がある。
つまり、資本主義社会の実態というのは、
お金という道具を使った借金システムになります。
お金という元々価値がない紙切れを、価値があるね、と人間に思わせて、
そして、その紙切れを企業などが借りて、その紙切れを以上の価値を銀行にフィールドバックする。
まぁ、ある意味、大々的な詐欺師が銀行なわけです。
価値のないものに、価値をつけて、それを
貸してレンタルし、そして、その貸したもの以上のものを返して!
というのが資本主義社会の仕組みになります。
もっと「ど」ストレートに言うと、
レンタルショップのツタヤに行き、ただの紙切れを1枚企業にレンタルをし、
そして企業が紙切れを返却するときは、
紙切れを3枚返さないといけないルールになる。
そして、紙切れと物々交換するのが、
人間にとって「価値があるね」と思わせて
それがお金に変換されるので、この社会、世界に
3倍の価値を提供することを課せられているのが
この資本主義社会になります。
( 3倍というのは分かりやすい例えですので。)
なので、資本主義社会が崩壊せず、順調に循環していくためには、必ず
人間にとって「これいいね!」という価値がどんどん増え続けなくては成り立たない社会になる。
けど、実態はどうでしょうか?
若者が、車、一軒家のお家、ブランド品、というモノ商品に価値を感じなくなる傾向があり、
幸せになるために、何を買うのか?何にお金を
使うのか?
が、大きく変化してきている。
なので、今の時代、今のタイミング、そして、これからの未来に、
「人間がこれ欲しい!」というニーズが生まれることで、そこにお金が流れ、循環が生まれる。
なので、モノ、商品では、最近の若者は幸せになれない、という賢くなっているので、
この商品があれば、このサービス、これが
あれば、幸せになる、ワクワクする、いいね!
という気持ちになり、何に購買意欲があるのか?
それを知ることはとっても重要ですよね。
では、未来価値を生み出すための未来のニーズは
一体何でしょうか?
■
未来価値についてお話ししましたが、
それでは、今後、人間は、何に価値を感じて
お金を出すんでしょうか?
これからの未来に対して、
人間としてどんなニーズがあり、何が一番欲しいのか?
なので、自分は近々、こんなアンケートを
取りたいと思う。
「もし、神様がいて、何でも叶えてくれるドラゴンボールのシェンロンがいたら、何をお願いしますか?」と。
こんな質問をしようと思います。
どうでしょうか?
この答えは、どんな回答が多いか、予測できます?
自分は予測できます。
その答えは「お金持ちになりたい」が多いんじゃないでしょうか?
「1億円欲しい」とか。
どうですか?
話がだいぶ脱線しましたが、何で1億円欲しいんでしょうか?
なぜ?
■本当のお金の価値とは?
1億円欲しい!というニーズがあるということを
お伝えしましたが、自分も1億円欲しいです。
では、では、なぜ1億円欲しいんでしょうか?
なぜ?
欲しいという欲求と同時に何が存在しているのかというと、
「悩み」ですね。
悩みと欲求は、同時に生まれます。
では、なぜ、1億円欲しいんでしょうか?
それは、お金があれば、好きなときに、好きなことができる、その自由のイメージがあるからでは
ないでしょうか?
自由というイメージ。
お金がなくて、お金を稼ぐために、やりたくもない
仕事を嫌々ながらして、我慢料として、
お金を稼ぐ。
だから、1億円欲しいんじゃなくて、実は、
嫌な仕事をしたくない、我慢してやりたくないことをやりたくない。
会社の社長や、上の人に従って、やりたくもないのに、奴隷みたいに我慢して、苦しんで、仕事をする。
だから、仕事をしたくないから、1億円欲しいんじゃないでしょうか。
アメリカのグランドキャニオンに今すぐ行きたい!
けど、お金ないし、仕事があるから、
行けない。
アメリカのグランドキャニオンに今すぐにでも行きたい。
けど、お金がないから我慢する、自由じゃない。
だから、1億円あれば、好きなとき、好きなことをできる。
行きたいな、という欲求を、そのままダイレクトに
行動できる。
我慢しなくていい。
お金さえあれば!
だから、我慢する生き方にうんざりしているから、
自由になりたい!
という叫びが、お金持ちになることによって、
叶う!というイメージがあるから、
1億円欲しいんじゃないでしょうか。
( 別に1億円じゃなくても、月10万とか、100万円
とかでもいい人もいますよね。)
お金が欲しいんじゃなくて、実は、
我慢し、奴隷になり、不自由な生き方が嫌で、
自由になりたい!
というニーズが、あるんじゃないでしょうか?
■
お金はニーズによって循環すると、お伝えしましたが、
人間が作ったお金に支配されている人間って
本当に本末転倒ですね。
資本主義社会の今の現状は、お金が上になり、人間がそれに従う下になります。
もともとは、人間が上のポジションで、お金が下だったのに・・・。
これを元に戻すイメージが自分にはあります。
つまりは、人間が上になり、そして人間がお金を
使うという本来あるべきポジションに。
そうなるには一体どうしたらいいんでしょうか?
それは、人間のバラバラな価値観を無理やりお金の力で秩序化するんじゃなく、
人間のバラバラな価値観を活かし合い融合できる
イメージが出来る、その教育が必要になります。
バラバラなものを融合できずに、仕方なく
何かしらの強制的な力によって、秩序化してきたのが人類史になります。
それが暴力、お金、ルール、倫理観や、今では
情報操作という形で無理やり秩序化しようとしています。
なので、人間のバラバラな価値観をお金という
道具によって、秩序化しているのが、
今の資本主義社会なんですね。
なので、お金を稼いでも自由になれると思い込んでいても、残念ながら、
政治、ルールという道具により、バラバラな
価値観を無理やり秩序化されてしまうのです。
ここで言う秩序化というのは、それぞれの
価値観、やりたいこと、自由というものを無理やり
一緒の枠に入れてしまう、と定義しますね。
なので、お金を稼ぎたいというニーズの奥には、
自由になりたい、という想いがあり、
その自由になれなかった理由が、バラバラの価値観を野放しに出来なかったという
人類史があります。
最初のルール、法律を見てみるとよく分かりますが、聖徳太子が作った17条の憲法や、
モーセの十戒などは、「人のモノを盗んではダメだ。」ということが書かれています。
自由になんでもやっていい、となったら、盗みや、強盗、殺人などが横行して無秩序になってしまいます。
なので、自由にやると、誰かが被害を被るから、
やりたいこと、自由なことをやると他人に
迷惑がかかるから、
やっちゃダメ!というルール、法律、規則を
作った人類史かあるんですね。
なので、ルールなんていらねぇぜ!もっと自由にやろうぜ!という自由主義者は、単なる我儘主義者になってしまいますね。
けれども、もし、そんな人がいた場合に
こう言ってみてはどうでしょう?
「地球上にある土地は、誰のものでもないから、
あなたの持っている土地、持ち家は、あなたのものじゃないよね?
だから、今日から自分がそこに住むね、いいよね?自由だから」と。
どうでしょうか?
ルール、規則、お金の力による秩序化があるから、
身の安全が守られて、自分の家や空間をゆっくり満喫できるという、快適さを得られることになりますね。
なので、お金は秩序化するための道具になり、
その背景には、やりたいことを制限されて
自由が奪われるイメージがあるのです。
なので、やりたいことを制限されても、我慢することなく、
制限されても、それが喜びであり、何の苦もなく、
楽しく快適に人生を過ごせるようになる。
そんなイメージができる教育が必要ですよね。
制限されても楽しい?
人間はエゴの塊で、もっと、もっと、欲を
膨らませて行きたい生き物なので、
制限するのは、不可能だし、資本主義社会は、
エゴを膨らませて商品を買わせる仕組みなので、
制限してしまったら、経済発展に繋がらないし。
今までの経済では、地球の環境破壊が急速に
進んでしまうのは分かっているけど、
人間は制限出来ないエゴの塊なので、無理です。
という資本主義社会の限界、歪みがあり
地球が悲鳴を上げているという問題点も浮き彫りになってます。
なので、全ての問題だ、という問題は、人間のエゴ、欲求なんですね。
このエゴ、欲求に制限し、昔のような自給自足的な田舎暮らしを推奨する人もいます。
けれども、この宇宙は進化発展し続けている仕組みなのに、田舎暮らしのようなバックするような
生き方は、ありえるんでしょうか?
科学技術、人工知能の飛躍的な発展により、その歯止めが効かないデジタル情報社会になっているのは、現実的には止められません。
実は問題は人間のエゴになりますが、
エゴ、拡大欲求を制限することに問題があり、
エゴ、拡大欲求を制限せず、爆発させながら、
それでいて、全体の秩序とも調和が取れている。
そんな個性というエゴの自由と、安心という
全体の平等と、この2つが融合することが
必要な時代に差し掛かっていると思いませんか?
「自由」と「平等」の融合。
ちょっと今回は、かなり文章が長くなってしまったので、今日はここまでにしますが、
自分は個性という「自由」と全体という「平等」
である相反するものが、
1つに融合できる、融合されるイメージがあります。
そのイメージを使って、新しい社会秩序、新しい世界を創ろうと思ってます。
もし、そんな自由と平等の融合に興味ある方が
いたら、
ぜひ、ここのブログでメッセージを下さい。
また、次のブログで、自由と平等の融合について
語りたいと思います。
それでは、また次回。
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