自分を存在させた瞬間に「強烈な堕天使ルシファー」が出現する!

自分を存在させた瞬間に「強烈な堕天使ルシファー」が出現する!

自分という有限の存在を存在させた瞬間に

堕天使ルシファーが現れるのを

あなたは、ご存知でしたか?

いきなり単刀直入に、その仕組み、流れをざっと紹介しますね。

■存在させた瞬間に支配する側とされる側が生まれる

全体という安心、安全という天使の場から、ぷちん、と切り離された堕天使が生まれる。

分離。

それが私、という自分。

境界線のある自分。

堕落した人間が生まれてしまう。

そんな堕天使は、愛されていたのに、急に世界から愛されなくなってしまったので、

必至こいて、愛されようとして行動する。

愛されるためにどんな行動をするのか?

それを考える。

考えて行動し、それが大きく2つに分かれる。

1、支配する側

2、支配される側

これもざっと説明すると・・・

1、支配する側

できる自分になり、できない相手を威圧したり、人に支持したり、相手をコントロールする行動をし

それで周りから褒められ、尊敬され、それが「愛される」イメージになると、支配する側になる。

 

2、支配される側

できない自分、相手から心配され、人から支持される側で、相手にコントロールされる行動をし、

それで周りから可愛がられ、「愛される」イメージになると、支配される側になる。

所詮、この世界は相対世界なので、分離、違いが存在し、それを統制、秩序化するために

支配する側と、支配される側に分かれる。

その分かれ方が、愛されてないから、愛されたい、その愛のイメージによって支配する側と、支配される側に分かれる。

■堕天使は愛されてないスタートの存在

存在が存在させてしまうと、それが分離になり、不安になり、恐怖になり、堕天使が生まれる。

その結果、愛されてない気持ちが生まれた瞬間に「愛されたい」が同時に発動する。

そして愛されるための行動、パターンが、支配する側、支配される側になるが・・・

実は、支配する側には、誰もなれない。

なぜならば、堕天使だから。

全体である安全、安心、天使の場から、分離、独立、孤独、不安、恐怖の堕天使になって

しまっているので、

どうあがいても、支配されている側になってしまう。

なので、堕天使が人間という仮の姿になり生きることは、

「愛されたい」という魂の叫びを訴えながら生きていることになる。

なので人間とは、全体から分離されてしまい

愛されてないという恐怖、不安から、「私のことを愛して!」と常に叫び続けている存在になる。

■愛されるための行動しかしてない

人間は愛されるための行動しかしてない。

なので、悲しいかな。

人間という存在は、愛されてないという恐怖、不安から、愛されるための行動、パターンしか

できない存在になる。

だから「愛」という言葉が、地球上で流行る。

相手が笑顔になると「愛された」と思い込む。だから、笑顔が流行る。

相手が自分のために何かをしてくれると「愛された」と思い込む。だから人に親切にする、が流行る。

相手がバカだね、と笑ってくれると「愛された」と思い込む。だから、私はバカなピエロの人生を送る。

など、など。

愛された探しをすることで、自分がどんな自分を選択し、どんな自分の人生を送るのか?

決定してしまう。

■ここで厄介なことが・・・

愛された、と思い込んでいる行動パターンが、自分の人生を決定してしまう、と言ったけど

これが1つだけ厄介なことがある。

それは、必ず、愛されたと思い込む行動が、いずれ、愛されてないという恐怖に変わってしまうこと。

なぜかというと、これは自分のパターンを例えにすると、ドジをすると母親がクスっと笑ってくれて愛されたと思い込んだ

イメージがあるので、わざと、ドジをすることになる。

ドジをして、クスっと笑われて「愛された」という飴玉、メリット、があるので、そんなドジ人生を送るわけだが

大人になり社会人になり、ドジをすると、めっちゃくちゃ怒られる。

え?ドジしても愛されずに、怒られて、愛されなくなるじゃん!というショックが入る。

そして、今度は、怒られず、愛されるために、今までの行動をストップして、

ドジしない自分の行動をしようとする。

つまりは、ドジをせず、完璧にやりこなす自分になろうとする。

けど・・・

ずっと、ドジをして愛された行動パターンを繰り返してきたプロフェッショナルなので、

そこがなかなか、ぬぐいきれない。

習慣化は恐ろしいもので、それが無意識になり、ドジをすると愛されるという反応をしてしまう。

無意識では、ドジをして愛されるイメージがあり、

表面的な意識では、ドジをしない。

という意識と、無意識の戦いが始まる。

戦いの結果は、無意識が勝利し、ドジをする。

そして、現実では、ドジをし、怒られ、そして愛されないというイメージを蓄積する。

どうでしょうか?

どんなに堕天使である人間が、あがいても、頑張っても、結局は最終的には、

愛されないという結論になる。

それはなぜなのか?

堕天使だから。

堕天使だから、分離しているから、全体とつながっていたのに、切り離されてしまったから。

だから、人間は、私は愛されてない。という深い無意識のアイデンティティーがあるので、

そこから抜けきることができない。

なにがあっても、どんな条件、状況になっても、私は愛されない、を選択してしまうことに

なっている。

■本当に愛されるためにはどうすればいい?

では、分離、切り離されてしまった人間は、一体どうすれば愛される存在に

なることができるんでしょうか?

それは、シンプルで、天使に戻ること。

これにつきますね。

もう、分離した、切り離された状態だと、不安、恐怖、自己否定、他者否定をするしかない。

その結果、私は愛されてない存在だ、という選択しかできないようになっている、人間は。

だから、人間は、すべてがつながっている、安心、安全、愛そのものである、

その天使の場というポジションに戻ることで、

愛されたい、愛したい、という因果、カルマからも自由になり愛そのものになる。

すべては、もともと1つだったんだ。

この悟り。

人間がどんなに頑張って、頑張っても幸せになれないのは、元々のベースが私愛されてない、から

スタートしているからだ。

だから、人間が幸せになるには、

すべてがつながっている、悟り、そのポジションをイメージできるようになり、

そして、人間という個人という存在も両方楽しめる境地になることで、

可能になる。

人間が愛そのもの、人間が幸せになることができる唯一の方法になる。

支配される側、支配する側にこの世界は分かれるけど、

さっきも言ったけど、結局は、支配する側も、堕天使の人間だったら、支配される側の奴隷になってしまう。

本当の意味での支配する側というのは、神様のポジションで、

支配する、支配されるという概念すら、ない世界。

ただ、ただ、自らの意思で、主体的であり、創造主でありクリエイトの世界だけになる。

誰からも支配されず、恐怖、不安がなく、愛そのものの世界。

そんな理想論があるわけないだろ?

と、突っ込みを入れられそうですが、それは、そこのポジションに行ったときにしか分からない世界。

 

ということで、

分離された人間ということを今日は語りましたが、これも自分の1つの観点、物語、ストーリーなので、

受け入れても、受け入れなくても、大丈夫です。

何か気になった点、思ったことがあれば、ぜひ、コメントや、メッセージでご連絡をください。

それでは、今日もお読み頂き、ありがとうございました。