悟った人と悟ってない人の違いとは?

悟った人と悟ってない人の違いとは?

悟った人

このイメージもバラバラだと思います。

いつも楽しい、ニコニコと笑顔で、何されても怒られない。

というのが聖者であり、悟った人と思われがちです。

でも、なぜ?人間に感情があるのか?怒りがあるのか?悲しみがあるのか?

存在には全て意味、価値がありますので、笑顔、楽しい、嬉しいという

感情しかなく、悲しみ、苦しみ、悩み、などなくては

人間の機能としておかしなことになります。

以前に、インドに行ったときには、喜び、歓喜の感情しかない人に

出会ったことがありますが、彼はいつもヘラヘラしていて、

一見すると、頭を電信柱にぶつけて、おかしくなってしまった人。

と認識されてもおかしくないようなヘラヘラと変な人に見えました。

その方は、存在しているだけで世界平和に貢献していると、お供をしている人?が言っており、

さらに、その方は、責任のある仕事には就けない、とも言ってました。

その時には、自分の身体、人生を犠牲にして世界平和のために凄い方だ!と

思っていましたが、今思ってみると、現実に悟りが応用、活用されてないんだな、と解析できます。

その方は、コズミックビーングと言って、宇宙と一体化してしまい、チャクラが全部ひらっきっぱなしで、歩くのも大変みたないな状態でした。

そんな悟りの聖者として紹介されて、世界各地から悟りたい、という人達が

集まり、そんな彼をあがめ立てたり、涙してひれ伏している人もいっぱいみました。

そんなことを経験しているし、一般的には、悟った人は、一般人とは違い

喜び、歓喜の感情しかない、いいなぁ、と思いがちですね。

今にして思うと、

喜び、歓喜、という人間的にみたらプラスの感情しか持ち合わせない、インドで出会ったその悟った人は、人間っぽくなくて気持ち悪いな、と今では思う。

このように

悟りの段階というのもあり、全部が繋がって気持ちいい、というのは自分も

感覚で体感をしたことある。

ゴミ収集所の汚いゴミや、車の排気ガスをみても、美しくて感動し、涙をしてしまうような感覚にまでなりましたが、

なりましたが、しかし・・・。

今になってみると、それは感覚の世界で、主観的で誰にも共有、共感されず

独りよがりの悟りになるので、これまた気持ち悪い、と今では思います。

さっきも悟りには段階がある、とお伝えしましたが、

悟りの段階が深まっていくと、喜び、悲しみに留まらず、

苦しみ、悲しみ、苦しみ、それらすべての感情を持てることだけで

神秘、神聖、感動できるようになってきます。

喜び、歓喜、などのプラスが素晴らしいんだ、というのは人間の観点であって

宇宙、自然、すべての存在の観点からみたら、単なる人間の思い込みだ、というのが理解できます。

なので、悟った人というのは、すべてが繋がっているという感覚になる段階もありますが、それはあくまで通過点です。

第2段階の悟りの人は、怒り、悲しみ、喜び、も1つの道具として自由に

出し入れできるので、一見、一般的な人と何も変わらず、悟っているな!と

一発では見抜けないですね。

なので、2段階悟っている人は、質問を投げかけることで、悟っている人だ、と

見分けがつきます。

その質問が、

「人間とは何ですか?という質問に答えられますか?」というもの。

この質問に対して、YESと答えたら、それはプラス、マイナスの感情を自由に活用、応用できる、悟りの2段階目の人になります。

Noと答えたり、それは分からないようになっているよ、それは自分で考えなさい、という人は、悟ってないか、感覚のワンネス、悟りの人となります。

「人間とは何ですか?という質問に答えられますか?」という質問をして

YESと答えた人に、じゃぁ、教えて?と言っても、その人のしゃべった単語の

背景のイメージが違うので、

説明は出来ないので、残念ですが、これは受け取る器の問題であって、

両方が、双方が悟っている状態でないと成り立たない質問と答えになります。

0と∞の循環によって、成り立つ質問ですので、

基本は、どちらかがイメージないと、成立しない質問です。

なので、基本は、人間とは何ですか?という質問すら成り立たない世界です。

・・・と、意味がよく分からないですよね。。

文章化するのが難しいので、今日は、悟った人は、人間とは何か?という

質問に対する答えのイメージがある、とだけ言っておきましょう。

では、では、また次回。

もう少し、イメージを知りたい方は、直接、ここのブログで

メッセージください。