正しさとは客観性だ

正しさとは客観性だ

「木を見て森を見ず」
「群盲象を撫でる」

これらは、部分的な情報にも関らずに私は絶対に間違ってない!と勘違いする

それを戒める言葉になる。

戒め。

あとはプラトン哲学での「洞窟の比喩」も有名ですが、これの本当の意味を

解析している人は、ほとんどいません。

この意味も一緒のことを言っていて、

人間は、部分しか見ることが出来ず、全体をみることはできない、というメッセージになります。

この解析ではないですが、イメージが湧くために、こんな洞窟の比喩のことが

書いてあるブログを紹介します。

こちら ↓

「洞窟の比喩」って何?【プラトン哲学入門】

いい、間違い、正しい、正しくない。

それすらない、という人がたいぶ増えてきましたが、正しい、間違いがない、と

いったところで、何も建設的な「モノ」は生まれません。

正しいとは、選択するときの単なる基準になるだけです。

そう、正しいとは、選択。

間違っているとは、選択しないこと。

ただ、それだけのこと。

なのでもし、「正しさ」「間違いはない」と主張してくる人がいたら、

それぞれ判断基準はバラバラだよね、と言い換えているだけの話しですね、と

切り返してみましょう。

そして、あなたが大事にしている、優先順位の高い、選択肢は、なんですか?

と質問しましょう。

例えば、人に優しくする、と答えた場合は、

それが何かを選択するときの基準点になっているだけの話なので、

そういった「人に優しくする」ということを大事にしている人に対しては、

「人に優しくする」が、あなたの中の絶対的な正しさなんですね。と

まとめてあげましょう。

必ず人は、行動するので、その際に「選択する」行為がある。

だから、正しさは、必ずあります。

正しさ、間違いがない、というの「すら」、その思考、考えが、絶対に正しい、という正しさがありますし。

だから、同じことを繰り返しますが、正しさ、間違いは、ないよね、という人は、

ただ、みんな判断基準がバラバラだよね、と言っているに過ぎないんです。

じゃぁ、みんながバラバラな判断基準があり、一緒になれない、イメージが一致しないとするならば・・・?

人間が共通した、絶対の正しさはあるんでしょうか?

人に優しくする、ということも、人によっては甘やかすことになるからダメだ、とか。

愛を与えることが絶対の正しさだ、と主張する人がいれば、愛は綺麗ごとであって、人間の本質はエゴ、欲求だ、と言う人もいる。

人間がバラバラの判断という正しさを持って生きれてれば、

「正しさ」×「正しさ」で、=争いが起こるのは間違いない。

だから、人類史は戦争というひとくくりで、まとめることもできるのも頷ける。

■どこまで客観的になれるのかがカギになる

正しさとは、単なる選択基準と言いましたが、何かの行動するときに、

これがいい、あれがいい、あれは嫌だ、これは最高、などなど、人は

本当にそれぞれバラバラ。

個々に行動するなら何も問題ないけど、会社、地域、国という集団として

何かを決定するときは、どれだけ客観性があるのか?それが大事になると

思う。

ここで問題か?爆弾発言をするけど、最初に言った

「木を見て森を見ず」「群盲象を撫でる」「プラトンの洞窟の比喩表現」

などは、人間の脳の認識が、全体をみれず、部分しかキャッチすることができない。

つまりは、人間同士は、正しさ、選択する行動に対して、いいね!という

共有できないことになる。

だから、人間は、共有できないことによって「お前それ違げーだろ?」と

争い、戦争の歴史に終止符を打つことは出来ない。

なんとなく、うっすらと、分かっちゃいるけど・・・・

全ての問題は、人間のエゴだよね、欲求だよね、ガツガツしている自分のことだけ考えるヤツが原因だよね。

と、言えば分かるし、誰もが納得するが、なにせ、強烈な「諦め」がある。

人間のエゴは治らない。

人間は地球上では、ガン細胞。

人間の欲求を果てしない。

などなど。

または、魂が清まって、いい人がたくさん増えれば、エゴ人間のような

汚いやつらがいなくなれば、戦争はなくせるよ、という人もいる。

ムリ。

だって、明確な、人間のエゴを何とかする解決策を、

曖昧な誰もが納得できない「感覚」で、済ませようとしているから。

それに、波動が高いとか、次元が高いとか、愛そのものだ、とか、

それをどうやって判断し、確かめ、それを実証できるのか?

その方法すら、客観性がなく、主観的すぎる。

なので、明確に、人間がエゴによって

人間が人と人が争い合う原因を人間が全員共通、共有し、

「あぁ、これ、これ、人間の戦争が起きる原因は、これね」と、まずは一致させなければならない。

苦しい顔しているから、たぶん、風邪だろうと風邪薬を出したけど、

実は足を骨折して、痛い顔をしてた。という、おかしな判断をしてしまうことになる。

なので、人間が争い合う原因。

人間が分かり合えない原因。

人間が、苦しみ、悲しむ原因。

それらを見ずに、逃げて、気持ちよくなってみたり、単なる表面的なプラス思考に逃げる人が多いので、

正直、ムカつく。

逃げてばかりいる人が多くて、人間の共通の限界ポイントをみずに、

個人のことばかりを考える、アメリカ中心の個人主義で、個を選択し、

支配権力の言いなりになりやすい道具と化しているから、ムカつく。

個人主義、資本主義というものが、個人のエゴを助長させて、経済を活性化させようとした戦略が永続的に行われるという観点では、

大失敗に終わったので、

個人の問題じゃなく、人間の問題であり、人間のエゴをどうするのか?

その1点について、ディスカッションや、解決策を話し合いたい。

変なプラス思考で、原因をみずに、

ボーリングでストライクを出して、たいして嬉しくもないのに、みんなに合わせて「イエィ~い♪」とハイタッチするような中途半端な盛り上がりのプラス思考が、

本当に、人間が争い合う根本原因を見る、その勇気を奪っている。

なので、人間がこの世界を認識する道具である、人間の脳。

その脳に装着されている目というものが、世界を分離させて見てしまうこと。

それが、人間が戦争を起こしてしまう根本原因に直結してしまっている。

そう。

人間の脳は、全体をみれず、部分という情報しか捉えることができないように

なっている。

なので、脳で見るんじゃなく、全体を、客観的に観ることができれば、

それが、共有、共通になり、共感が生まれ、あぁ、一緒じゃん♪

と、正しさ、選択、行動に対して、「いいね♪」と賛同できるようになる。

なので、客観性が正しさになり、

人間の脳は、目は、客観的にみることができない、という限界を知る必要があり、

そして、それが、すべての苦しみ、悲しみ、人と人が分かり合えない戦争の根本原因なんだ、と理解することができるようになる。

この文章を読んで、あぁ、そうだ。と納得する人は、おそらく少ないと思う。

なぜならば、アメリカ中心の個人主義にズッボリハマり、個人主義から

始まる自由が最高なんだ、と思い込まされてしまったから。

それは単なる我儘主義であって、日本人の和、日本人の侍精神とは、かけ離れてしまっている。

なので、この文章を読んで、個人で何とかして、それがクリアできたら、社会全体を何とかすることを考えるよ、という人は、

個人のことはクリアできない時代になってしまったことを理解して欲しい、と

痛切に思う。

個人を何とかしよう、という考え自体が、それが資本主義社会の教育であって、

そこに気づき、社会、世界に目を向けられる人と、本当に出会いたい。

なぜなら、個人主義に興味がなく、全体に対して何かおかしい?と

深い疑問を持って、日々を過ごしいる人は、

本当に少ないから。

大きな事、社会、世界平和のことを発信すると、そこに対しては、

理想論だ、という人は、個人主義が強烈に強く、

無意識深くには、諦めが蓄積されてしまっている。

本当に、かっこいい日本のサムライに出会いたい。

自分のことばかり考えて「木を見て森を見ず」の人が多いので、

思わず感情的になってしまうけど、

感覚的に全体を感じるセンスのある、かっこいい日本のサムライに出会いたい。

その人と一緒に、これからの社会、どんな世界を創っていきたいのか?

ワイワイ、ワクワクと、ディスカッションしたい。

もちろん、人間の脳は部分情報しかキャッチできないので、

人間の脳を超えた、全体のイメージを持っている

その人達と。

■まとめ

人間は、部分しかキャッチできないので主観的

客観性をもって この世界を認識するためには、

人間じゃない

人間を超えた悟りが必要