「カルマは存在しない」と言い切れるための3つのステップ

「カルマは存在しない」と言い切れるための3つのステップ

■カルマは存在する、それともしない?

カルマは存在するのか?

カルマは存在する?しない?

そういった論争、議論、疑問が世界中で起きてますよね。

いきなり余談ですが、私は、bump of chickenのカルマという曲が

大好きです。

「鏡なんだ僕ら互いにそれぞれのカルマを映す為の

汚れた手と手で触り合って形が解る」

という歌詞がありますが、カルマというのは一般的には、

罪穢れ、というイメージで忌み嫌われますよね。

そもそも、カルマとは何か?というのが明確に定義できてないので

論争、議論、疑問が世界中で起き、そして、それが未だに

カルマは存在するのか?それともしないのか?

という議論に終止符が打たれません。

■なぜカルマ(業)という言葉が生まれたのか?

では、カルマとは何か?ということを理解するために、どうやって

カルマ(業)という言葉が生まれてきたのか背景をみていきましょう。

「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。」と言われているように、

カルマ(業)はインドなどの古い時代から教え説かれ、

輪廻という思想とも相性がよかったので、それが結び付き

形化された、とされている。

もっと古い時代には、モーゼの十戒が指し示すように、

「人を殺してはいけない」

「人の物を盗んではいけない」など、ルールが作られた基本になる

教えにも繋がります。

そういった十戒のような教えというのは、

悪さすると、悪いことが起きる、という罰を与えることで、悪さを防ぐという
手段、手法をとった、とも言えると思います。

なので、サクッとまとめると・・・

カルマ(業)、因果、輪廻転生などの概念は、

人と人が殺し合い、略奪しあうことを防ぐため。

そう、つまりは、人と人が集まり集団というグループが生まれて、そこに秩序化を作るために

カルマ(業)という教えが生まれた、とも解析もできますね。

 

■神は「カルマは存在しない」と言っている?

ベストセラーである神との対話 ニール・ドナルド・ウォルシュ(著)

という本の中では、こんなことが書かれています。

「カルマの輪」など、存在しない。

多くの人は「過去の行動に対して代償を支払い、債務を負わないように、頑張らなければならない」と考えている。

だが、「宇宙の車輪(生命のサイクル)」には、価値の無いものなどはなく、債務の償いも罰も、浄化もない。

どうでしょうか?

神との対話の中では、

過去にしてきた行動すべては、価値がある。

価値がないものなどないんだ、と説いています。

カルマ(業)がないほうが罪穢れを抱え込まずに、スッキリ楽しく人生を

過ごせるぞぉー!!

と喜び、嬉しくなり、それが口コミで広がり、

神との対話の本がまた売れ続けていくわけです。(笑)

■人生には正しい、間違いがなかった?

さっきもお伝えしましたが、

カルマ(業)という教えが生まれた背景は、どうやら人と人が争いを防ぎ、

平和に、そして秩序化するために作られたらしいぞぉ、という臭いがしますよね。

つまりは、悪いことをすると罰が下されるぞ、だから悪いことをできなくなり、

平和になる、という論理展開です。

なので、カルマがある、カルマがない、という両方の観方には

どちらにも、幸せに生きるためのヒントが隠されているということになります。

カルマがあるという思考は・・・

カルマ(罪、業)を作るから、悪い事できなくして、争いを防ぎ、身の安全が守られ幸せになる方法の思考

カルマがないという思考は・・・

カルマがないから過去のことにクヨクヨしないくて済み、未来に向かって

スッキリ、ワクワクした人生を歩めるぞぉ!とハッピーになる思考

と、この2つの両方があります。

なので、私個人の勝手な、独断と偏見の結論ですが、

あなたの人生で幸せになるな、という思い込みができる方を

ただ選択するだけです。

そう。

カルマがあるな、と思い込んだ方が幸せになれるのか?

それとも、カルマがないな、と思い込んだ方が幸せになれるのか?

それを考慮して、どっちかを選択すればいいだけです。

もちろん、カルマがある、ない、という議論を気にせずに、

生きるのもいいでしょう。

と、いろいろと、ごちゃごちゃと屁理屈を言ってきたように感じるかも

しれませんが、たった一言で言うならば・・・

自分の人生は、選択しかない。

正しい、間違い、は存在しなくて、自分の選択する「だけ」です。

■神様を掌の上に乗せた男はどっちを選択した?

じゃぁ、お前はどっちを選択したんだよ?

という声が聞こえてきたので、お伝えします。

私は、カルマがある、ない、のどちらを選択したのか?

というと、「カルマはある」と選択しました。

カルマはあります。

なぜなのか?

カルマがあるという苦しみ、悩み、苦しみがある、と存在させた方が、

「そこから出たい!」という強烈な意志が生まれやすいからです。

実は、人間にとって苦しみは愛そのものであり、

その強烈なショックがないと「変化意志」が生まれないからです。

例えば、牢屋の中にあなたが閉じ込められても

苦しみはない、カルマもない、幸せに過ごしていける、と思い込んでしまった場合・・・

 

「その牢屋から出たい!」と思わずに、ずっと閉じ込められた空間で過ごすことになります。

自分は、今の時代は、人間の尊厳、可能性が殺されている(牢屋に閉じ込められている)社会、世界だと思っているので、

幸せだ、嬉しいんだ、というプラス思考もしますが、危機意識もあえて

創り出す選択もしています。

なぜならば、もっと人間は可能性に満ち溢れているし、もっと人間の尊厳が

大爆発できると思っているからです。

だから、一番深く、しゃがむ。(苦しみ、悩み、危機意識)

そして、一番、深くしゃがんで、一番、高く飛ぶ。(尊厳、無限の可能性)

そのために、カルマは存在すると、思い込みます。

■「カルマは存在しない」と言い切れるための3つのステップ

 

カルマは存在しないんだ、と主張するのもいいでしょう。

今のままで楽しい、今の現状で満足して生きていく、という選択を

する人は、カルマがない、という選択をする方が楽に、楽しく生きれると

思います。

なので、カルマが存在しないと言い切れる3つのステップは・・・

1、カルマがある、ないは、人間が作りだした思い込みであると理解すること

2、カルマがない、と選択するほうが楽に生きられるのか確認する

 

3、カルマがない、を選択する

この3つのステップで、カルマはない、と言い切れる人生を送るための

準備ができましたね。

言い切ったもん勝ちです。

人生はただ選択するだけなので、間違い、正しいは、ないのですから。

PS:

最後に一言。

この世界は、全て思い込みなので、何を選択するのか?

それだけです。

この世界は全て思い込みである。

そのことを、理解、納得、確信できる、そのイメージを持つことが

できる「きっかけ」になるセミナーがありますので興味ある方は、ぜひ。

 

http://www.nr-japan.co.jp/nohjesu/index.html