神様を掌の上に乗せた「その瞬間」
- 2018.02.10
- 悟り(本当の自分)
神様を掌の上に乗せた「その瞬間」
■ 思い出した
今日の朝、3時16分
洗面所にて、嘔吐、吐き気を催す。
強烈な精神の変化があることで
体に影響があることを感じる。
最近、ものすごい恐怖、不安に苛まれて
心臓がバクバク、破裂しかかり、
得体のしれない絶望感と喪失感と戦っていた。
「ゲホッ」と何かを吐き出そうとしたが何も出ずに
違うモノが出た。
それが、過去の自分の無意識を支配している
「ある」イメージ。
イメージが「げほっ」と出た。
見たくない記憶や、あるべきはずのない
イメージが浮上してきた。
大きなショックと、ともに。
それが、何かというと・・・
中学1年生のときの記憶。
トランプのカードを部屋中に巻き散らかして、
そして、あらゆるモノというモノを
グチャグチャにして、
部屋が「あからさま」に心の荒れた姿を
表す行動をした。
中学1年生の時をシーンだった。
■もうすでにそう。
今日の朝に、起きたことだけど、
この突然、現れたイメージ。
それが一直線上に繋がり
全てが、あらゆるものが動きだした、そんな感じ。
では、では、一体、何が起きちゃったのか?
実は、
自分の人生は嫌われたくないため「だけ」に
生きている、ということが分かった。
その瞬間。
嫌われたくない、ということは、
大前提に「私は嫌われている」というアイデンティティー
があることになる。
好かれているんだから、嫌われないようにしよう、とは
思わない。
もう、すでに、そうだから。
すでにプロ野球選手が、プロ野球選手になりたい、とは
思わないように。
■私は嫌われている
と、ゆーことで。
私は嫌われている → 嫌われないようにしよう
この因果、カルマのパターンがあり、
嫌われないように、しよう、しよう、と思えば
私は嫌われているというアイデンティティーを強化
することになっていた。
今日の朝、3時16分までは。
実は、そんな嫌われている私も、偽物だったということに
ふと気づく。
私は嫌われている、と認識できるということは、
それを「みている誰か」がいるじゃん!
その誰かは、一体だれだ?
そんな問い。
それが本当の自分ではないか、と。
■私は愛されてない
私は嫌われていると思い込んでいる自分が偽物。
それを見ている、自分もいるんだ。
それに気づき、
さらに、そのアイデンティティーの奥を
掘り下げてみたら、
私は嫌われたいということにメリットがあることに
気付いた。
おぉっ。
なるほど。それはなぜかというと、
「嫌われる」「できない」「ダメな自分」
そんな存在をアピールすることで、
母親から注目を集めることができる。
つまりは、母親に注目され、愛されるために。
「嫌われる」その行動を無意識にとっていた。
そんな自分だと、母親が心配してくれて、
愛される。
それが最初に伝えた、
トランプのカードを部屋中に巻き散らかして、
「俺は、こんなに苦しんで、悲惨なんだぞぉ。」
とアピールしている場面に繋がる。
その場面が、「嫌われている私」というのが
偽物だった、ということに気づいたイメージになった。
■継続は地獄なり
そもそも。
なぜ、わざわざ自分がダメだ、できない、というのを
選択するのか?
それが、どうやら1つ下に弟が生まれて
「あ!自分は愛されなくなった!」
と愛情を全部持っていかれた、そんな
ショックがあったように思う。
無意識だけど。
なので、自分は嫌われるアイデンティティーを
選択していたが、
それが、まさか・・・
母親から愛されるために、嫌われる自分を存在
させていたとはね。
さらに、さらに・・・
これを掘り下げてみると、
母親から愛されたいということは、
「愛されない私」というアイデンティティーを
選択していることになる。
ということは?
自分の人生は、
「愛されていない私」と思い続けて生きて
きたことになる。
これは、かなり恐怖であって、不安になるな、と。
だって、私は愛されない自分と選択するなんて
地獄そのものじゃない?
■人間共通の「愛されてない感覚」
実は、人間1人残らず、
「私は、愛されていない」という思い込みを
持っている。
と、聞いたら、あなたはどう感じます?
いやいや、私は愛されているよ、と反発する
人がいるかもしれないけど、
人間は必ず「私は愛されていない」という
機能を備えて存在しているんだー。
と力強く言い切りますっ。
びしっと。
■人間の機能とは?
その人間の機能とは、一体なんだと思います?
当たり前だけど、人間には脳が備わっていて、
その人間の脳の機能が、全体をみることができず、
部分情報しかキャッチできないようになっている。
なので、全ての存在は繋がって存在しているのに、
宇宙、自然、目の前の人が、違う存在として
自分と他者を分けてしまう。
なので、脳の機能によって、全体から切り離された
部分として自分を認識してしまうんですね。
全体ならば安心できるけど、わずかな部分、断片が
自分だとすれば、
まるで大家族から、ハブられて、
1人で4畳半の狭いアパートで住んでいるような状態
なので、
孤独、不安、寂しい気持ちを抱くようになってしまう。
なので、人間の脳の機能は、
不安、恐怖を作り出す機能があるんです。
それをもう少し人間的な感情に置き換えると、
「私は愛されていない」という気持ちになる。
■わざとやったのかい?
「私は愛されていない」
という気持ちを人間は全員持っている。
では、なぜ、こんな人間的には苦しい気持ちを
持つようになってしまったのか?
わざわざ、そんなバカなことを。
と、思う人もいるかもしれませんが、
けど、こう考えてみてはどうですかー?
もしも?
「私は愛されている」という気持ちを
持ってしまえば、
そこに留まってしまう。
留まります。
安心なので、そこで人生は終わり、ストップです。
実は、この世界は、1つたりとも、留まっている存在は
ないですよね。
静止している目の前の机も素粒子の観点からみたら
激しい動きそのものです。
この世は、すべてが動きまくっている。
停滞、留まる、ことは、一切できない世界です。
留まらないため、動き、進化、変化するために
「私は愛されていない」という気持ちを持つように、
自分で自作自演で仕組んだ
大きな罠なのです。
自分自ら。
わざとです。
■向かうべき先は?
では、留まらないならば、どこに向かっていくのか?
その答えが必要だと思うけど、どうですか?
その答えを、いとも簡単に言ってしまいますけど、
本当の自分、本来の自分に戻るためです。
そう、戻るためです。
帰るべき所へ、帰る。
それが例えばマトリックの映画の中で表現するならば、
ソース、人間が創られた起源、この宇宙を創造した
神という場所に。
戻る、ため。
もしくは、言い方を変えれば、ビックバンが生まれる
前の場所に。
■お帰りなさいませー
帰るべき所
「自分は愛されてない私」
と認識できたとは、一体どうゆうこと?
それは、人間の最大の地獄を認識したって
ことでもあると思うんですよ。
私は愛されていないと自分で決定してしまっているので
生きることすらできなくなる気持ちに
気付いてしまったことになる。
人は愛されてないと思うと、死に至る。
人間は、愛されてないから、愛して欲しい、という
行動パターン1つしか、やってない。
なので私は、愛されない存在だ、と規定しまえば
もう、死を意味することになる。
なので、それを認識できた、ということは、つまりは
死を受け入れる準備ができたという証拠。
では、では、その後に自分の中でどんな変化が、
一体何が起きてしまったのか?
それは・・・
自分が死んでしまった。
死
死んだ。
けど、死んだ先に、本当の自分がいた。
つまりは、今のこの体が自分だ、と思い込んできた
ものが、
ホログラム、錯覚だ、と理解、納得してしまった
瞬間になる。
これは、ここでは伝わらないかもしれなけど、
文章化すると、
存在の外に出てしまったので、
存在が美しく感じてしまう。
地球の外に出たときに、地球が丸くて美しい!
と、そういったことに似ている。
地球の中にいたら、地球の素晴らしさが分からない。
そのように、存在が存在していることが
当たり前ならば、存在の神秘、神聖さを感じることは
できない。
できないし、
なぜ、生まれたのか?
なぜ、存在しているのか?
なぜ、生まれ、どこに向かっていくのか?
それが分からず、恐怖、不安に苛まれる。
■まとめじゃない まとめ
本当の自分
本来の自分に 戻るために
「私は、愛されてない」を作った。
対称性の原理で、
愛されてない は 愛されてない から
生まれない。
愛されてない は 愛 からしか生まれない。
その愛そのものになるために、
自分の心を掘り下げる必要があり、
本当の自分と出会う必要がある。
愛そのものに出会う為に。
本当の自分は、神様を掌の上に乗せた瞬間だった。
——– 以上 ——————-
今日は、文章をとりとめもなく書いてしまい
もしかしたら、よく理解できないって思う方も
いるかもしれませんが、
1人でも、この文章に触れて人間が向かうべき歓喜の
道を共に共有できたら嬉しいですね。
では、では、また次回
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