情報化社会の洪水

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情報化社会の洪水

昔は、知識を知ることが学びであり、

今の学校の教育がある。

けれども、今の学校の授業中には、

ヤフー知恵袋などで検索をし情報知識をネットで探して、

先生にこんなことを言う生徒もいるらしい。

「先生、間違った情報ですよ、それ。」

知識を教える先生のキャパの何千倍もの
大量の情報を蓄えている、ネットで空間。

それに太刀打ちすることは出来ず、登壇に
立つ先生の権威、立場は今後は

どうなっていくんだろー?

ネット情報化社会の中でも、頭で分かっていても、
現実的なアクションまで追いつかないのが現状では
ないか、と。

情報知識が膨大にあるので、それについての解析、
判断も、それぞれがバラバラになるのは当然。

なので、お互いが、お互いのことを理解しわかり合うことが難しくなっている。

主観的、客観的になれない人間。

この世界の戦争の根本原因は、自分が絶対に正しい、という考えだ。

これは誰が何と言おうとも、間違いない。

っていう考えも絶対だよね?

絶対はないよね、という屁理屈は、さておいて。

違いと違いが出会い、ジャッジし、否定し、
争い、戦争が起きる。

こうした文字情報で、あぁ、知ってる、知ってる、と頷いている人ほど、

その問題意識がどれほど重要か?

分かってないことが多い。

まさか!え?

それも、絶対じゃないの?

と大ショックが訪れた時に、それが、分かった!
と言える。

なので、これは間違いないな、うん。

この考えだけは譲れない。

この倫理、道徳だけは、最後の砦で、そこだけは踏み外しちゃいけないデットラインだね。

って、言う全ての考えが、主観的で思い込み!

と言われたら、どう?

それを受け入れる柔軟さがないと、本当の意味での客観性が分からないままで人生を過ごすことになる。

ふと思った考え、ふと当たり前にしている正しさ。

その全てから自由になることで、初めて

違いと違いが初めて融合できることになる。

情報化社会。

これからの時代は、情報をたくさん詰め込む世界から、
情報を整理、整頓する。

その情報を整理、整頓するためには、全てを
一旦、脇に置き、なかった状態に、消しゴムでキャンパスを真っ白にする必要がある。

そこからしか、融合は起きることは出来ない。

全ての正しさを、一旦、無くして、さらに
それを編集、デザイン、融合していけることになる。

情報、正しさ、全てをなくす、その技術は、
同時に融合技術でもある。

それがこれからの時代に必ず必要になる。

なくなる、と、融合。

この両輪によって、時代が初めて応援してくれることになる。