なぜ私は恐怖、不安を創ったのか?
- 2018.02.06
- 悟り(本当の自分)
なぜ私は恐怖、不安を創ったのか?
なぜ?
一体?
恐怖、不安を創ったのか?
なぜ?
人間的な目線で言うと、恐怖、不安という存在は、
存在しなくてもいいのに!
いらない!
恐怖、不安は厄介なシロモノだ!
と、悪者を超えた存在しちゃいけない悪者になっている。
本当に、恐怖、不安がこの世界から絶滅してしまえばいいのに、、、
と自分も思っていた時期があった。
けど・・・
けど、この世界に恐怖、不安が存在しているということは、
何かしら意味があるのでは。
と思うようになった。
恐怖、不安が存在するということは、その対称性である、
何か?も存在する。
その何か?は、一体何か?
その何か?が分かれば、恐怖、不安がなぜ存在しなくてはならないのか?
それがみえてくる。
恐怖、不安の反対に当たる何か?とは、それは、
歓喜、安心、だと思う。
その歓喜、安心したい、という人間の欲求があるのは、
その反対である不満の要素である、恐怖、不安があるからだ。
なのでシンプルに言うと、人間は、恐怖、不安から離れて、
歓喜、安心したい、という存在そものも、という事になる。
全ての人間が、歓喜、安心したい、と願っている。
それが人生でもあると思う。
話を元に戻すと、なぜ、恐怖、不安が存在するのか?
その問いに答えてみよう。
恐怖、不安は、人間的な目線だけど、単なる
圧縮、緊張、という言い方もできる。
例えば、人間が歩くときに、緊張、弛緩、と交互の繰り返しによって、
前に進める。
緊張、弛緩がなく、弛緩だけしかなかったら、大地を蹴る足がなく、
歩けない。
だから、この世界は、緊張と、弛緩で成り立っている、とも言える。
緊張がなくなったら、もちろん、弛緩もない。
この世界が、真空という「ない」状態と、存在が「ある」という2つの均衡によって、
この世界が形成されている。
ならば・・・
恐怖、不安は、なくなるはずがない。
なくなってしまえば、歓喜、安心もなくなり、人間の感情がなくなってしまうことにもなる。
つまりは、人間の感情が存在する。
歓喜、安心、感動、恐怖、不安、など、たくさんある感情が存在しているが、
それらの1つでもなくなってしまえば、どの感情もなくなってしまうことになる。
人間から感情を奪ってしまうとどうなるのか?
次回は、そのことについて語ってみたいと思う。
今回は、恐怖、不安が存在する理由は?
それは、感情が存在しているいじょう、恐怖、不安は存在する。
ということに繋がってしまった。
また、次回で、一緒に恐怖、不安についても語ってみようと思う。
では、では、また次回。
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