神様を掌の上に乗せた「その瞬間」

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神様を掌の上に乗せた「その瞬間」

■ 思い出した

今日の朝、3時16分

洗面所にて、嘔吐、吐き気を催す。

強烈な精神の変化があることで
体に影響があることを感じる。

最近、ものすごい恐怖、不安に苛まれて
心臓がバクバク、破裂しかかり、

得体のしれない絶望感と喪失感と戦っていた。

「ゲホッ」と何かを吐き出そうとしたが何も出ずに
違うモノが出た。

それが、過去の自分の無意識を支配している
「ある」イメージ。

イメージが「げほっ」と出た。

見たくない記憶や、あるべきはずのない
イメージが浮上してきた。

大きなショックと、ともに。

それが、何かというと・・・

中学1年生のときの記憶。

トランプのカードを部屋中に巻き散らかして、

そして、あらゆるモノというモノを
グチャグチャにして、

部屋が「あからさま」に心の荒れた姿を
表す行動をした。

中学1年生の時をシーンだった。

■もうすでにそう。

今日の朝に、起きたことだけど、

この突然、現れたイメージ。

それが一直線上に繋がり

全てが、あらゆるものが動きだした、そんな感じ。

では、では、一体、何が起きちゃったのか?

実は、

自分の人生は嫌われたくないため「だけ」に
生きている、ということが分かった。

その瞬間。

嫌われたくない、ということは、

大前提に「私は嫌われている」というアイデンティティー
があることになる。

好かれているんだから、嫌われないようにしよう、とは
思わない。

もう、すでに、そうだから。

すでにプロ野球選手が、プロ野球選手になりたい、とは
思わないように。

■私は嫌われている

と、ゆーことで。
私は嫌われている → 嫌われないようにしよう

この因果、カルマのパターンがあり、

嫌われないように、しよう、しよう、と思えば

私は嫌われているというアイデンティティーを強化
することになっていた。

今日の朝、3時16分までは。

実は、そんな嫌われている私も、偽物だったということに
ふと気づく。

私は嫌われている、と認識できるということは、

それを「みている誰か」がいるじゃん!

その誰かは、一体だれだ?
そんな問い。

それが本当の自分ではないか、と。

■私は愛されてない

私は嫌われていると思い込んでいる自分が偽物。
それを見ている、自分もいるんだ。

それに気づき、

さらに、そのアイデンティティーの奥を
掘り下げてみたら、

私は嫌われたいということにメリットがあることに
気付いた。

おぉっ。

なるほど。それはなぜかというと、

「嫌われる」「できない」「ダメな自分」

そんな存在をアピールすることで、
母親から注目を集めることができる。

つまりは、母親に注目され、愛されるために。

「嫌われる」その行動を無意識にとっていた。

そんな自分だと、母親が心配してくれて、
愛される。

それが最初に伝えた、

トランプのカードを部屋中に巻き散らかして、

「俺は、こんなに苦しんで、悲惨なんだぞぉ。」

とアピールしている場面に繋がる。

その場面が、「嫌われている私」というのが
偽物だった、ということに気づいたイメージになった。

■継続は地獄なり

そもそも。

なぜ、わざわざ自分がダメだ、できない、というのを
選択するのか?

それが、どうやら1つ下に弟が生まれて

「あ!自分は愛されなくなった!」

と愛情を全部持っていかれた、そんな
ショックがあったように思う。

無意識だけど。

なので、自分は嫌われるアイデンティティーを
選択していたが、

それが、まさか・・・

母親から愛されるために、嫌われる自分を存在
させていたとはね。

さらに、さらに・・・

これを掘り下げてみると、

母親から愛されたいということは、

「愛されない私」というアイデンティティーを
選択していることになる。

ということは?

自分の人生は、

「愛されていない私」と思い続けて生きて
きたことになる。

これは、かなり恐怖であって、不安になるな、と。

だって、私は愛されない自分と選択するなんて
地獄そのものじゃない?

■人間共通の「愛されてない感覚」

実は、人間1人残らず、

「私は、愛されていない」という思い込みを
持っている。

と、聞いたら、あなたはどう感じます?

いやいや、私は愛されているよ、と反発する
人がいるかもしれないけど、

人間は必ず「私は愛されていない」という
機能を備えて存在しているんだー。

と力強く言い切りますっ。

びしっと。

■人間の機能とは?

その人間の機能とは、一体なんだと思います?

当たり前だけど、人間には脳が備わっていて、

その人間の脳の機能が、全体をみることができず、
部分情報しかキャッチできないようになっている。

なので、全ての存在は繋がって存在しているのに、

宇宙、自然、目の前の人が、違う存在として
自分と他者を分けてしまう。

なので、脳の機能によって、全体から切り離された
部分として自分を認識してしまうんですね。

全体ならば安心できるけど、わずかな部分、断片が
自分だとすれば、

まるで大家族から、ハブられて、
1人で4畳半の狭いアパートで住んでいるような状態
なので、

孤独、不安、寂しい気持ちを抱くようになってしまう。

なので、人間の脳の機能は、

不安、恐怖を作り出す機能があるんです。

それをもう少し人間的な感情に置き換えると、
「私は愛されていない」という気持ちになる。

■わざとやったのかい?

「私は愛されていない」

という気持ちを人間は全員持っている。

では、なぜ、こんな人間的には苦しい気持ちを
持つようになってしまったのか?

わざわざ、そんなバカなことを。

と、思う人もいるかもしれませんが、

けど、こう考えてみてはどうですかー?

もしも?

「私は愛されている」という気持ちを
持ってしまえば、

そこに留まってしまう。

留まります。

安心なので、そこで人生は終わり、ストップです。

実は、この世界は、1つたりとも、留まっている存在は
ないですよね。

静止している目の前の机も素粒子の観点からみたら
激しい動きそのものです。

この世は、すべてが動きまくっている。

停滞、留まる、ことは、一切できない世界です。

留まらないため、動き、進化、変化するために

「私は愛されていない」という気持ちを持つように、
自分で自作自演で仕組んだ

大きな罠なのです。

自分自ら。

わざとです。

■向かうべき先は?

では、留まらないならば、どこに向かっていくのか?

その答えが必要だと思うけど、どうですか?

その答えを、いとも簡単に言ってしまいますけど、

本当の自分、本来の自分に戻るためです。

そう、戻るためです。

帰るべき所へ、帰る。

それが例えばマトリックの映画の中で表現するならば、

ソース、人間が創られた起源、この宇宙を創造した

神という場所に。

戻る、ため。

もしくは、言い方を変えれば、ビックバンが生まれる
前の場所に。

■お帰りなさいませー

帰るべき所

「自分は愛されてない私」

と認識できたとは、一体どうゆうこと?

それは、人間の最大の地獄を認識したって
ことでもあると思うんですよ。

私は愛されていないと自分で決定してしまっているので
生きることすらできなくなる気持ちに

気付いてしまったことになる。

人は愛されてないと思うと、死に至る。

人間は、愛されてないから、愛して欲しい、という
行動パターン1つしか、やってない。

なので私は、愛されない存在だ、と規定しまえば
もう、死を意味することになる。

なので、それを認識できた、ということは、つまりは
死を受け入れる準備ができたという証拠。

では、では、その後に自分の中でどんな変化が、
一体何が起きてしまったのか?

それは・・・

自分が死んでしまった。

死んだ。

けど、死んだ先に、本当の自分がいた。

つまりは、今のこの体が自分だ、と思い込んできた
ものが、

ホログラム、錯覚だ、と理解、納得してしまった
瞬間になる。

これは、ここでは伝わらないかもしれなけど、

文章化すると、

存在の外に出てしまったので、
存在が美しく感じてしまう。

地球の外に出たときに、地球が丸くて美しい!

と、そういったことに似ている。

地球の中にいたら、地球の素晴らしさが分からない。

そのように、存在が存在していることが

当たり前ならば、存在の神秘、神聖さを感じることは
できない。

できないし、

なぜ、生まれたのか?
なぜ、存在しているのか?
なぜ、生まれ、どこに向かっていくのか?

それが分からず、恐怖、不安に苛まれる。

■まとめじゃない まとめ

本当の自分

本来の自分に 戻るために

「私は、愛されてない」を作った。

対称性の原理で、

愛されてない は 愛されてない から
生まれない。

愛されてない は 愛 からしか生まれない。

その愛そのものになるために、

自分の心を掘り下げる必要があり、
本当の自分と出会う必要がある。
愛そのものに出会う為に。

本当の自分は、神様を掌の上に乗せた瞬間だった。

——– 以上 ——————-

今日は、文章をとりとめもなく書いてしまい

もしかしたら、よく理解できないって思う方も
いるかもしれませんが、

1人でも、この文章に触れて人間が向かうべき歓喜の
道を共に共有できたら嬉しいですね。

では、では、また次回