くよくよ考えすぎてしまう性格は「自由意志」が存在しないから。

くよくよ考えすぎてしまう性格は「自由意志」が存在しないから。

前回の続きになります。
https://yutaka8.com/post-3207/

ジーニマムのセミナーとは?


前回も紹介したけど、ジーニマムのセミナーに直接参加して体験してもらいたいけど、
参加者の友人は、くよくよ考えすぎるかどうかは分からないけど、

自由意志についてこう語っていた。


「確かに、お昼休憩の時には、結局は会社が決めた時間の枠なので、
自分で休憩を決めてないから、自由意志じゃないね」と。


そりゃぁ、そーだ。


会社のお昼休憩の時間が13時からって決まっているのに、12時きっかりにお昼ご飯をたべて、
のんびりしながら12時45分からNHKの連続ドラマ小説の「カムカムエブリバディ」を見る。

なんて自由は許されない。

けど、さらに彼がこう語る。

「実家の事業を長男だからといって継ぐのではなく、それを蹴って、自分の意思で
沖縄に移住した」と。

確かに。

長男だから家を継ぐという条件反射をSTOPして、自分の意思で別の人生を歩むことを
決断したから、それは自由意志だね、とも話し合っていた。

決断するってすごいねー、かっこいいねぇ、親の敷かれたレールに乗っかっちゃうよりも
自分の人生は自分で決めるぜっ!って素敵♪とか思いながら・・・・。

そんな和気藹々のやり取り中に、同じセミナーに参加していた女性が、

「私も、兄がいて、その状況がそっくりなんですけど、その会社の事業を引き継がない、
辞めるって、そういった反発心、反抗心も、その家族の家庭環境で生まれているじゃないでしょうか」と。


「その決断自体も、機械のような条件反射じゃないでしょうか、」とも。

も?

も!


MO!

もー、じゃなくて、No!だった。

NO!と全否定されたかのように、一瞬空気が凍りついたような気がして、ちらっと
彼の顔をみたら、

「自分の人生は自分で頑張って決断したのに、それを全否定された?それだけは認めたくはない!」って顔に書いてあった。

ように思えた。

確かに、家庭環境によって作られた考え、感情、行動でもあるから、それを言ってしまえば

元も子もない。。

もっと広い観点で捉えると日本に生まれたから、日本人っぽい条件反射によって、
日本に生まれた時点で、自由意志じゃないってことになる。

「あなたの自由意志ないよ」って言われて、機械のように条件反射しかできない奴隷だよ。って突きつけるのは、まさに絶望、地獄だぁ。

ここでちょっと言い訳。

もちろん絶望、地獄に陥れるためにセミナーを開催しているわけではなく、絶望、地獄を通過した先に
本当の意味での希望、天国があるからこそ、

徹底的に「自由意志は存在しない」ことを自分と繋げて腹落ちさせる目的になっていると思われる。

■人間は地球の寄生虫論をどう思う?



では、なぜ人間は自分が決定した人生は自由意志じゃないと理解、納得、確信する必要があるのか?

なぜだろう?

誰もが自分の人生は自分で決断し、行動している、と思いたい。

自分が誰かの操り人形であり、機械のように、ただ、ただ、Aボタンを押したら怒る、Bボタンを押したら泣く、というロボットなんて思いたくない。

しかし、残念ながら機械的な条件反射しかできない人間はロボットである、ということを自覚、認識することが大事だと

気づいたので、それをお伝えしますが、

さて。

今の時代は、いつ、なんどき、知らない人からナイフで背中を刺されるかも分からないような
不信、不安、恐怖社会でもあり、カオス、混沌としているとも言えます。

こんな恐怖、不安な社会になってしまった原因は一体なんでしょうか?

大気汚染の環境?食べ物が悪い?政治の仕組み?経済が回らない?

様々な観点がありますが、それらを全部丸ごとひっくるめて作り出してるのは、まぎれもなく人間です。

そう人間です。

その人間が人類史が700万年間、争い、摩擦、衝突、戦争が絶えない歴史だったというのは
誰が目にもあきらかですが、その原因を誰もみようともしません。

その原因は、たった一言でいうならば、「エゴ」という言葉で表現できるけど、
その「エゴ」という「自分さえよければいい、他人が死のうが一切関係ない」という
意識が由々しき問題だと思う。

その「エゴ」というどうしようもない牢屋の中に閉ざされて、苦しみ、悩み、絶望し、諦め、無気力、
自暴自棄、そのストレスが凶暴化し、争い、戦争にまで発展しているのは、誰でも理解できると思う。

なので、すべてが繋がっていて安心、安全であり、歓喜、感動な世界である。

なんてことはイメージしたことがないし、両親、学校、仕事場などでは、教えてくれない。

宇宙、自然とはすべてがつながりあって連動し、呼吸しあいっているのに、それを普段は意識することができず、自分という体の境界線を強烈に意識し、自分だけ、エゴという単体だけが独立して生きている、と思い込んでしまっている。

例えて言うならば、和気藹々で常に大笑いで笑顔が絶えない大家族が大広間でワイワイ食事を楽しんでいるのに、

自分1人だけ取り残されて、犬小屋に押し込められて、食事はカリカリのドックフード一粒だけ、みたいな。

そんな感じ。

そんな感じの個人主義、資本主義社会のベースの教育が、孤立、分離、闘争を生み出していると考える人はいるけど、

それをも作り出しいてる人間の機能、人間が他者と自分を分けてしまう認識方式が問題であり、原因である、という考え方にアプローチし、

しかも、それを解決、クリアできる人を、この世界に自分は、今のところ、たった1人しか知らない。

だから、人間自体が問題であり、それを自覚し、限界を知ることからすべては始まる。


単なるプラス思考をして「人間とは?」という哲学的に人間が答えなくてはいけない質問に対して、考えるのを無意識で諦め、現実逃避をしようとしている人が結構多いとも思う。

人間という個体は、もう地球環境を蝕もうとしているので、人間という大前提がもうある意味、地球を侵食する寄生虫みたいなもんで、

人間をなんとかしないといけないんじゃないか、と。


■人間を殺す問題


環境問題、格差社会問題じゃなく、もう人間問題。

人間問題に着目し、その人間の自我(エゴ意識)をクリアする啓蒙活動が必要な気がする。

こういった人間のエゴ、自我、戦争の歴史の話をすると目を背けて逃げてしまう人がいますが、もう逃げられない時代になっていると思うで、切々とブログで語ってみる。

じゃぁ、もうどうしようもないエゴの塊の人間を殺すしかないのか?

それとも、地球環境を守るために、原始人のような昔ながらの自然と共に生きる道を選択する?

AI、人工知能、そこから生み出される超格差社会、そして人間のほとんどが、AIに栽培される人間になる無用者階級というレッテルを貼られてしまう未来はそう遠くない。

けど、原始的な大自然と共に生きるライフスタイルに戻る選択をしても、結局は、世界はデジタル化が進み、
ガラケーしか使わない!と豪語していた中年のおっさんも結局は社内がLINE使用の連絡網になってしまったので、

スマホを買うしかなかったように、時代の加速度的な進歩により、AIに支配されてしまう人間になってしまうことは変わりない。

じゃぁ、一体何を殺せばいいのか?

なにを?

それは、この個体の体の人間を殺す。

エゴ殺し。

そう。

しかも、生きたまま、殺す。

生きているけど、殺す?

どーやって?

と、いろんな誤解を招くかもしれないし、様々な疑問が湧くと思うけど、一旦整理しますね。


■生きることは死ぬこととみつけたり

真理の観点からみると、私という存在である、この手足、体、頭という形あるものが、実は
「ない」んです。


そう実は、本当のところは、「ない。」

このことを明確に、理解、納得、確信することが「ない」というイメージが、人間を殺すというイメージとイコールですね。

ない=殺す


「ない」という死んだ状態が殺すということになり、完全な死のイメージが、
完全な生き方につながります。

完全に死ぬことで、完全に生きれる。


完全に殺すことで、完全に生まれる。


そこで、はじめて人間とは何か?そして人間が生きるとは何か?ということが
理解、納得、できるようになるんです。


なので、話はだいぶ元に戻りますが、ジーニマムのセミナーでは、

あなたには自由意志がないし、あなた自体は存在しないんだよ、というショックを与えて、

あなたは「ない」というすべての存在と差を取った「さとり」の境地に誘うための
準備をするため。

そう、希望溢れる世界に導くための、準備、器を作るために、わざと、「自由意志は存在しない」という絶望、地獄に落ちてもらう意図があったんです。

(このイメージがないと、後味悪いセミナーになってしまう。。。)


■プチまとめ


ちょっと簡単にプチっとまとめてみましょう。

殺す=完全死=ない=悟り


この悟りの境地にたどり着くためには、1つのポイントがあり、

それが、

人間は「自分がある」というエゴ(自我)という5感覚脳に掴まれている奴隷であり、地獄であり、
牢獄であることを自覚すること。


つまりは、正しい絶望をすることで、悟りの境地の門が「ギギぎっ。」と音を立てて
開かれるための、マスターキー(鍵)になります。

それもそのはず。


絶望、地獄を自覚した瞬間に、「その絶望から出たい!」という意思によって、希望、悟りに到達する準備、器ができた、ということになるので。

もしも、絶望、地獄、牢獄に入っていることに気づかずに、
その中で、楽しい♪楽しい♪と、表面的な無理やりのプラス思考で逃げてしまえば、人間の本質を見誤ってしまい

「あー、楽しいんだ、牢獄は。」という考えに麻痺、支配されて、牢獄から出たいとは思えなくなってしまう。

そっちの方が地獄だな、と感じた人もいるはず。


なので、地獄を感じる。牢獄にいる、という絶望を感じ切ることはとても大事です。

なにも地獄と言っても、体にデカイ注射器の針を刺すとか、巨大なハンマーで頭をぶん殴る、という痛みを感じる地獄じゃなく、

人類共通の正しい地獄を理解、納得、確信するだけなので、楽しく、そして、スリリングに、
緊張感をもった新しいイメージなので、案外楽しく、出会えると思います。


なので、ぜひ、体感してみてください。

くよくよ考えすぎてしまう性格はあなたのせいじゃなく、人間共通なので
安心して、地獄を感じ切ってください。


自由意志は存在しないという地獄を体感できるジーニマムセミナーに。

https://peatix.com/event/3086460/view

自分の人生を自らデザインできる女性性哲学ジーニマムセミナー)

では、自由意志は存在しないシリーズは、次回でまとめになります。

じゃ、また。

PS:

女性性=宇宙を生み出すお母さんの女性(悟り)のイメージもあり、女性っぽい

見た感じは、地獄って感じじゃないけど。