人間の悩みは「自分が何者なのか?」に全部集約される

人間の悩みは「自分が何者なのか?」に全部集約される

■あなたの悩みは何ですか?

あなたの悩みを言ってみてください。

全部が、「楽しく生きる」に直結してますから。

例えば、「仕事に行きたくねぇなぁ~。」という悩みがあるとします。

そして、なぜ、なぜ、なぜ?といつ質問攻撃をすることで導き出される答えが

「楽しく生きるため」という結論になります。

では、なぜ?という質問をしてみましょう。

 

「なんで仕事に行きたくないの?」

「会社の言うことに対して奴隷みたいにこき使われるのが嫌だから。」

「なんで、こき使われたくないの?」

「そんなの決まってるじゃん、楽しくないからだよ。」

「じゃぁ、あなたは生きることを楽しみたいんですね。」

「もちろん!」

このように、すべての悩みは「楽しく生きれない」ことに集約されますが、

「なぜ生きているのか?」という問いに対して、楽しむため、という答えをする人がいます。

ほとんどの頭がおかしい人じゃない限り、生きることを楽しみたい。

と願って努力して、そして日々を過ごしているんじゃないでしょうか。

「生きているのは、楽しむため」と。

■人生を楽しみたい、という罠があるけど気づいてますか?

誰もが人生を楽しみたい、と思っていると思いますが、

人生を楽しみたい、ということは、一体どうゆうことでしょうか?

人間が生まれて、何もしなかったら、人生は楽しめない。

それを示唆しているんじゃないでしょうか?

「楽しみたい!」という願望が生まれるっていうことは、「楽しめない」という

感情が必ず存在しています。

楽しめない自分 → 楽しみたい自分

と、このように、必ず、相対世界なので、2つの存在が存在します。

これと一緒で、幸せになりたい!という願望も、

不幸な自分 → 幸せになりたい自分

という2つの存在が存在します。

そして、人間はマイナス的な存在から、プラス的な存在に移動したがります。

楽しめないから、楽しみたい。

不幸だから、幸せになりたい。

つまらないから、面白いことしたい。

などなど。

けれども、そもそも、「人生を楽しみたい!」という人が大勢いるのにも関わらず、

その背後にある「人生を楽しめない自分」という存在を忘れて、ただひたすらに

「人生を楽しむため」の行動をし続けます。

これを人類の前進、前進、前進中毒と言いますが、「人生を楽しめない自分」が存在するのは

一体なぜなのか?

という問いをする人がいません。

バックをするという概念がなく、常に、常に、人類は、高さの幸せである

前進、前進、前進をし続けて、「人生を楽しもう」「楽しもう」「楽しもう」と

前ばかりを見て全速力で、前進をし続けた歴史があります。

なぜ、人生を楽しもうとするのなら、「人生を楽しめない」存在があるのに、

その原因を知ろうとしないのか?

この質問をすることなく、どうすれば人生を楽しめるのか?という

真理から遠ざかる質問ばかりをし続けて、その答えにあたる、楽しむための行動しか

取れないようになっているのです。

大事なのは、人間は人生を楽しめない、その原因は一体何か?という質問です。

その質問をすることで、人間はもともと楽しめないように苦しみ、悩み、苦しむように

なっていることが分かります。

これは究極を探求してきた哲学者などが自殺する例でも、人間の本質は苦しみ、悩み、苦しむように

なっていることを知ったら、発狂してしまうから、無意識に人間とは?という

存在を追及する質問をしなくなってしまうのです。

このように話は前後するかもしれませんが、人生とは楽しむために生まれた、という人が

さらなる深堀りの質問をすると、楽しむ、苦しむ、その主体である、私、という存在である

人間とは何者なのか?

それを知らないと、なぜ人間は楽しめなようになっているのか?それが分かりません。

人間とは何か?

自分とは何か?

それが分かると、自分は何のために生まれ、どこに向かっていくのか?

それもよくよく分かるようになります。

なので、人間の「考え」とは質問に反応するただのロボットのようなものなので、

人間は動物とは違い考える存在なので、人間とは考える存在であり、

その考えは、質問に答えるための存在、ということになります。

では、質問の大ボスである、質問の中の質問とは何でしょうか?

究極の質問です。

この究極の質問に答えるために、実は、人間の考えはあるのです。

その究極の質問が、実はさっきから言っている、「自分とは何か?」という質問になります。

自分は人間として生きているので、自分を知るには人間とは何か?が分からない、

自分を知ることはできない。

では、人間を知るには、人間が生まれる前の地球の遡って考えないと、人間とは何かが分からない。

人間がいないときに、地球が存在していて、その地球が何かしらの意思によって、人間を生み出しているので

地球の気持ちにならないと、人間をなぜ産んだのか?そこからくる人間とは何か?に答えられないことになる。

では、地球を知るには、宇宙を知らないといけないことになる。

宇宙が地球を産み、そして、地球が人間を生み出しているので、結局は、宇宙を知ることが、自分を知ることに繋がる。

で、宇宙を知るには、宇宙が始まるビックバンが起きる前に戻り、そのビックバンを生み出した存在の気持ちに

ならないと分からない。

つまりは、いろいろと、ごちゃごちゃ言ってきたけど、宇宙を創りだした神様の気持ちになった時に、

宇宙をなぜ作ったのかが分かり、地球をなぜ作ったのかも分かり、最終的には人間をなぜ、自分という存在を

なぜ?作り出したのか?が分かるようになる。

ここで人間的な観点でみると、こんな悲惨で残酷な世界に人間を作った神様の存在を本気で

恨む人も多くいる。

人間の本質を追及していくと、人間は悲しみ、苦しみ、悩むようになっているので、そんな地獄をわざわざ

作った神様に対して、心底、むかつき、恨み、憤りを感じている人も多い、ということになる。

■神様の本当の気持ちとは?

こうして神様の気持ちが分からないと、宇宙も分からないし、地球も分からない、そして人間、自分も

分からない、という結論になりました。

神様という言い方に抵抗ある人ならば、何かの大いなる存在という表現でもいいんですが、

とにかく、宇宙を作った創造主の気持ちにならないと、人間が分からず、自分も分からないことになる。

なので話はもとに戻りますが、

人間の考えは、自分とは一体なにか?に答えるために存在する、ということをお伝えしましたが、

この「自分とは一体何者なのか?」の質問を別の言い方に変えると、

「宇宙を作った創造主の気持ちはどんな?」

という質問に切り替えられます。

宇宙を作った創造主の意図、目的という気持ちが分かりさえすれば、人間が分かり、自分も分かります。

もうちょい、分かりやすく言うと、「神はなぜ人間を作ったのか?」という質問にもなるけど、

神はなぜ人間を作ったのか?という質問に答えるためには、

神とは何か?という神様の実体のようなものを知らないと、なぜ人間を作ったのか?も分からない。

まぎれもなく、人間は宇宙に存在しているし、宇宙もなにかしらの大いなる神、力というものに

よって作り出されている。

■まとめ

だんだん、文字を打っていて、ごちゃごちゃしてきたので、まとめてみる。

人間の考えは悩みようになっている。

そして考えは何のために存在しているのかというと、

究極の質問に答えるために存在している。

その究極の質問は、自分とは一体何者なのか?になる。

けど、自分を知るには、宇宙、宇宙を創りだした神様のことを知らないと

自分とは一体何者なのか?という質問に答えることが出来ない。

なので、人間の考えは、「宇宙を創りだした神様とは一体何か?」という

質問に答えるために存在している。

なので、いろんな考えがあるけど、それは楽しむためには?という質問ばかりになるけど、

その楽しむ主体である自分とは一体何か?という

ベクトルを外から内に向けた質問に転換する必要がある。

その内側に向けられた質問が自分とは一体何者なのか?という内側、自分とは?という

質問になるけど、それは人間の性能を超えた存在である人工知能の出現は、

単純に、外側に向けられた質問じゃなく、

内側の質問である自分とは?人間とは?一体なに?という質問に向かうように

仕向けられた時代の流れもある。

自分とは何か?という質問をし、それに答えることが、「考え」の正しい使い方であり、

「考え」の使命なんです。

自分とは何者なのか知りたい、という人間の一番大事な欲求に対して、答えられないから

人間は苦しむのです。

つまりは、人間というのは、自分を知るために考えがあり、その考えは自分を知ること

以外の考えは、すべて苦しむということによって、自分を知るようにプログラムされているのです。

自分を知ることは、宇宙を知ること、宇宙を知ることは、神様を知ること。

だから、人間は「宇宙を創造した神様とは一体なに?」という質問に答えられないと、

ずっと苦しみ、悲しみ、悩むようになっているんです。

人間は神様という本当の自分に出会うために実は、人間の考えという道具を使い、

本当の自分を知るプロセスをたどっているだけなんです。

と、ここでもややこしくなってしまったかもしれません。

最後にシンプルに、この質問に答えることができれば、 本当の意味での楽しい人生の

スタートになります。

「本当のあなたは一体何者ですか?」