自由と平等は「イコール」じゃないけど「イコール」にする?
- 2018.11.24
- 悟り(本当の自分)
■資本主義社会と、社会主義、共産主義が生まれた背景とは?
今、大きくアメリカを中心とした資本主義社会と、
ロシア、中国などを中心とした社会主義、共産主義社会と
大きく2つに分かれる社会が誕生している。
2つとも、超当たり前だけど、人間が作った社会。
だから人間を知ることで、この2つの社会がなぜ生まれたのか?それが見えてくる。
つまりは人間はみんな頭がおかしくない限り、幸せになりたいと思っている。
その幸せ像が、2つある。
ただそれだけのことだと思うんです。
その2つ。
2つある幸せ像のイメージが、分かれば、社会の成り立ち、構造が理解できる。
では、その2つとは何か?
それは・・・・
自由と平等。
この2つ。
自由は、資本主義社会で、平等は、社会主義、共産主義に当たる。
なので、自由×平等 という対立構造で、自由=平等と、イコールにはならない。
個人主義で自由にやりたい放題やれば、平等は成り立たないし、
全員が平等ならば、全員一緒、となるので、個性や自由は抑えつけられてしまう。
なので、人類は、自由であり、平等でありたい。
という歴史を刻んできた、とも言える。
それを裏返せば、人類は自由になれず、平等で安心な社会を構築できてこなかった、とも言える。
この自由と平等という対立構造をイコールにする「融合」がこれからの
社会、世界のキーワードになるが、まだ、それが明確に指し示されてない。
■人類史を一言で言うならば?
自分はずっと平等というテーマで人生を悩み、歩き続けたように思う。
そう、平等。
なぜならば、平等じゃない、という苦いジャリをかみしめ続けてきた人生史が
あるからだな、と最近整理されてきた。
それは、両親と自分や、社会と自分、そして10年間、宗教をやってきたので、
神と人間という常に常に、上下関係。
支配するものと、支配されるもの、という関係性に苦しみ、悩み、恐怖、不安を感じて生きてきた背景がある。
人間は宇宙が始まっていらい、その個人というキャラは宇宙が始まってから先にも終わりにも存在しない唯一無二の存在になっている。
自分というキャラと全く同じキャラはいなくて、似ていても環境、情報がまったく同じものを取得していないので、
よくよく比較してみると全く違う存在ということが分かる。
あなたと似ている人はいるけど、あなたそのものは、他とは違って、この世界で
本当に唯一無二の存在。
なので、人間は、あなたの個性は、他と違うし、他の人もそれ以外の人とは違う、ということになるので、
つまりは、この世界は「違い」と「違い」が瞬間、瞬間出会っている、とも言える。
こうして「違い」と「違い」が出会えば、「それ違うよね?おかしくねぇ?」という
イラっとするような場面になるのは、当然であって、
それが大きく発展して、ドンパチやる戦争になるだけ。
違いが争い、戦争を生み出す人類史。
だから、この違いを、一緒にして平和にしようね、といろいろと試行錯誤してきたのが人類史とも言える。
■「違い」をどうやってクリアしようとしてきたのか?
そうした違いをそのまま放置してしまえば、大きな集団は成り立たない。
個人で決めて、個人で行動するならいいけど、国単位になると、例えば、国の予算は、これこれにしよう、と決断、実行しなければならない。
「みんな違ってみんないい」という論理は政治の意思決定では成り立たない世界になる。
「みんなバラバラでいいじゃん、個性が大事だし。」という一見素敵な生き様にみえるけど、集団をまとめるリーダー的存在の人は、
その違いを一緒にする、まとめる、ことに苦労しているので、
そんな言葉は出なくて、みんなバラバラで、それをまとめるのはどうしたらいいんだろうか?といつも頭を悩ませている。
人間は家族、地域、国、地球と、何かしらに所属をしていて、そこには集団のルールがあり、その秩序を守るということをしなければならない。
集団というのは、必ずルール、秩序があり、それが崩壊したら、
集団としては成り立たない。
そのルール、秩序を守ることによって、集団である家族や、国というものが存在できる。
そのルール、秩序を守らないと強制的に、罰金や、逮捕されるなど自由を奪われ、ある意味、その集団から排斥される形になる。
例えば、私は消費税には反対だから、ここのカフェのコーヒー代は消費税は払わない!とかたくなに言い続けている人はいるだろうか?
もちろん、そんな反対をしても、どうしようもないことが分かっているので、
コーヒー1杯分の消費税を支払うことになる。
消費税反対という考えを持っていたとしても、行動は消費税賛成する。
こうした当たり前の矛盾があるのに、自由だ、と未だに言っている人がいるので不思議だけど、
この世界に自由なんてない。
誰かが作ったルールに従って生きているのが、人間だ。
だから自分は、そこに問題意識を感じ、
この世界、社会は、ルール、秩序を創り出す支配する側と、支配される側という
構造が生まれて、人間は何かしらの我慢をしいられて生きなくてはいけない。
そう、人間は自由なんてなくて、我慢して生きるしかない。
そこに強烈に問題意識を感じて何とかしたい、と思い続けてきた人生だったように思う。
誰かが作ったルール、考え、理念、理想に、ただ何も抵抗する事すらできなく、
受け入れるしかない。
消費税反対!と叫ぶことも出来ずに、無抵抗で消費税を払う、そのように。
■人間共通の限界は何だと思いますか?
自分はこういった支配する側に、支配されていると気付き、
誰にも支配されたくない、誰が作ったルールにも縛られたくない、と思った。
ほとんどの今の世間一般的な考えとしては、自由になるには、まずお金持ちになることから、という概念があるように思う。
けど、億万長者とかに会っても、本当に自由になり、幸せになっているとは思えず、おかしい?と思い、
何で支配する側があり、支配される側は搾取され、我慢して生きることをしなくちゃいけないんだろう、とずっと考えてきた。
その答えが、さっきも言ったけど、人間は「違う」からだっていうのが分かった。
「違い」
この「違い」を一緒にまとめ秩序化しようとしてきたのが人類の歴史だ、ということも分かった。
この違いを秩序化するために、力を使うので、それが時代ごとに違うだけ。
ある時は、王政の暴力という分かりやすい力によって。
ある時は、お金という力によって。
ある時は、倫理、道徳という「正しさ」という力によって。
そして、ある時は、無意識の情報操作という力によって。
その時代の力のあるモノが、違いを秩序化するために、多くの違いという個性、キャラを無理やり抑えつけてきた歴史。
ずっと人間はそうやって我慢して生き続けてきた。
だから、なぜ人間は生きているのだ?
なぜ、我慢するために生まれてきたんだ?
人間の尊厳って一体なんなんだ?
と、最近は、様々な疑問、質問をする人が増えてきた。
この人間共通の課題である「違い」を無理やり力によって、秩序化する。
その社会、世界に対して、何とかしよう、という問題意識を持っている人が
あまりに少なすぎる。
ほとんどの人が、支配されないように、お金もちになりたい、という思考回路しか持ち合わせない。
例え、お金持ちになったとしても支配構造があるので、支配する側の人達にとって都合が悪くなれば、いとも簡単に、そのお金も0円に情報データを書き換えられてしまう。
この社会、世界は、だから自由なんて1つもない、と言い切れる。
決められた枠の中、で自由だ、と思い込まされていて、それで無理やり満足だ、と感謝だ、とプラス思考でごまかしている。
だから、自分は問題、課題を無視して、プラス思考するプラス思考信者は嫌いだ。
人間共通の限界に向き合いさえすれば、そこからどうこの限界、問題を解決できるのか?という思考回路が動き出し、そして解決、クリアできる道がみえてくるから、
人間の共通の課題、限界を共有することはとても大事と思っているので。
■自由と平等
自由はこの社会、世界にはないんだ、ということを書いたけど、
実は、平等もない。
個性、キャラがそれぞれ違うから、平等の概念ももちろんバラバラなので、
平等にすることが、まずはありえない。
なので、自由もなく、平等もないので、無理やり自由っぽくしているのが資本主義社会であり、
むりやり平等っぽくしているのが社会主義、共産主義になる。
じゃぁ、自由であり、平等である社会、世界を創るにはどうしたらいいんだろう?
って質問が浮かぶと思う。
どうしたらいいと思いますか?
それは、自由、平等を言い方を変えれば、
自由は、個人という分離、平等は、全体という繋がり、とも言えるので、
分離しているけど、全体なんだ、というイメージができるようになることが必要だと思う。
必要と言うか、この社会、世界は人間が作っているので、人間がこの社会、世界をどう規定するのか?で決まってしまうので、
個人という個性が発揮できるけど、全体と繋がっていて安心できる社会。
というのが理想になると思う。
これは人間のこの世界をどう規定するのか?という認識の問題になるので、
個人という部分と、社会という全体が、イコールになるイメージが、そのイメージできる教育が必要になる。
今は、個人主義が強烈なので、個人という部分は認識しやすいけど、
社会、世界、宇宙という全体をイメージするのがとても難しくなっている。
つまりは、自分と部分であり、分離された個は、この社会、世界、宇宙と
明確に繋がっているんだ、という認識が必要になる。
個人である自分が、なんとなく、社会、世界と繋がっているなぁ、という
曖昧なイメージじゃなくて、太陽が東から西に落ちるような間違いない、確信レベルの繋がっているイメージを。
その明確なイメージとは、目の前の相手の人が、それはまるで自分の手足のように自分という認識できるレベルになる。
相手が自分、自分が相手。
■人間の認識を変化させることは出来ると思いますか?
相手と自分が一緒になってしまう。
その明確な理解、納得で整理されて、究極的には、その整理された自分すらもなくなってしまう境地もある。
明確に全体と繋がっている、というその繋がり「すら」も「ない」という
究極の繋がり。
その境地になると、分離という個人から生まれた資本主義社会も、
全体という安心、安全という概念からうまれた平等が理想の社会主義、共産主義も、
自分が生み出したものだから、とてもかわいく見えてしまう。
自分が生んだ子供のように、どんな「違い」も愛おしく、接することができる。
もし、自分が生んだ子供じゃなく、自分の価値観、生き方とは違う人と出会ったとするならば、それを一緒にしようと無意識で思い、「それ違う!」!と否定、非難することになる。
この世界の全ての存在は、全部自分が作ったんだ、という神目線になると、「違い」を活かしあおうという解析に勝手に変わる。
そしてどんな存在でも無限の可能性でみれるようになる。
なので、人類が歩んできた違いを力によって無理やり抑えつけようとした人類史に終止符を打つためには、
人間の認識を、人間の違うという考えを一旦、0にする。
そこから、違いをみたときに、すべての違うを活かせるイメージしかこないので、
力で無理やり抑え込もうとしなくなる。
なので、バラバラの違いを、一緒に、まとめる、秩序化するために力によるある意味暴力で、押さえつける歴史。
それが、支配する側と、支配される側。
という上下間の対立構造に終止符を打つことになる。
そこで人類が初めて、支配される側に従い、我慢して生きていく、という
我慢人生にも終止符を打つことができる。
そういったまさに夢のような社会、世界を創るには、人間の認識を変化
させる必要がある。
どんな変化なのか?
それは再三お伝えしてますが、個人という部分と、社会、世界、宇宙という全体をイコールにし、
そして、そのイコールも、「ない」という認識に変化することにより、可能になる。
要約すると、部分も、全体も、ない。というその認識。
言い方を変えると、資本主義社会も、社会主義、共産主義も、
「ない」という認識に。
そして、「ない」という認識にポジション移動ができるようになると、
今度は、資本主義も、社会主義、共産主義も、自分が作っている認識なんだ、ということが理解できるようになる。
実は、ここで種明かしのようなことをお伝えしますが、
資本主義が問題でもなく、社会主義、共産主義が問題でもなく、
あえて問題だと規定するならば、
資本主義が問題だ、と思い込んでしまう認識が問題であり、
社会主義、共産主義が問題だ、と思い込んでしまう認識が問題なんです。
これは、人間、つまり、あなたが、創り出している世界であるので、
自分がどうこの社会、世界を認識しているのか?
で、すべてが決定されていまいます。
なので、ここで中途半端なまとめで申し訳ないですけど、
自由、平等がない、と思ったら、ないし、
自由、平等がある、と思ったら、ある。
という端的にまとめましたけど、これは信じる世界ではなく、
自分自身で明確に論理とイメージで、そして、理解、納得し、精神論じゃなくて
科学的に何度も繰り返し反復できる教育として、理解100%できる世界です。
自分がこの社会、世界を創っている、ということを理解、納得できる
教育を発信しています。
それは、自分で世界を創っているんだから、ある意味、神ですよね。
その神を大量生産するのが、自分の使命と感じているので、
神様を掌の上に乗せた男、ってタイトルのブログを書いています。
では、では、神様になりたい、って人は、ぜひ、ここのブログの右端に
メールでメッセージできるので、ご連絡ください。
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