怒られたくないのに?怒られたい?

怒られたくないのに?怒られたい?

怒られたくないのに、怒られたい?

って、どうゆうこと?

この矛盾する2つのイメージは、ふつーは理解できない。

けど、

全部自分の思い通りになっている。

ということが、理解できている人は

「あぁ、なるほど!」と理解、納得する。

なぜなら、

本来の人間は、マゾであり、自ら苦しみをつくり、苦しみを味わうことをしている。

まるでそれは、

目の前に、画鋲を巻いて、その上を歩く。みたいなもん。

そして、その後に「痛い!誰だ!ここに画鋲を巻いたのは!」

とブチ切れる。

そう、画鋲を巻いたことを、自ら忘れる。

忘れる、ということを自らする。

してしまう。

自虐自演。

だから、全ては、自分の思い通りになっている、と言える。

じゃぁなぜ、こんなマゾみたいなことをするのか?

疑問に思うかもしれないけど、

それは、本来の画鋲を巻いた自分に、戻るため。

そのミッション、使命がある。

言い方を変えると、

今の存在している、生きている自分が、ニセモンの、偽物だ。

という、その記憶のタネを残している、とも言える。

それが人間だけが出来る自己否定できる能力。

ニセモノ!と、今の自分を全否定できるスーパー能力。

人間にしか出来ない。

否定できる能力は。

だから、自ら、苦しみ、自ら、その苦しみを否定し、

その苦しみから脱出する。

その無意識をも作り出している超意識が、

作り出したプログラムが人間の存在だ。

それが、最初に言った、

「怒られたくないのに、怒られたい。」

に、繋がる。

だから、

「愛されたいけど、愛されたくない。」

「幸せになりたいけど、幸せになりたくない。」

という相対世界ではならではのは、矛盾、カルマ、逃れられない運命論に行きつく。

運命、人によっては宿命という人もいるけど、
それは言葉のイメージがバラバラだから
仕方ないけど、

逃れられないのは、

人間の機能上、最大の能力だから、仕方がない。

このカルマ、運命から脱出、流れるためには、

人間じゃない、機能を持つしかない。

つまりは、人間を卒業すること。

それが、悟り、ともいう。

悟り。

悟りにも、ピンキリあるから、次回は、悟りの種類、段階を整理した内容を書いてみようと思う。

では、では、また次回。