人間の生き方の「何が原因なのか?」②

人間の生き方の「何が原因なのか?」②

前回は、人と人が分かり合えない原因がある。

けど、そこには誰もアプローチせずに、単なるプラス志向で解決しようとしている、と言うことをお伝えしました。

では、今日は、人と人が分かり合えない原因をお伝えしましょう。

人と人が分かり合えない原因は、資本主義、個人主義社会という人間の認識に問題があります。

そう、今のこの地球にいる人間の認識方法に、そもそもの問題があったのです。

それはどういうことなのかというと、資本主義は、個人という境界線を強調します。

私が、という私「我」というエゴとも言います。

これは、今までは王様が支配しているし、そのバックには神がいて、個人の欲望を出すのではなく、神様のお眼鏡に叶う、神様に好かれる生き方をする私、というアイデンティティーでした。

なので当時の人たちは、個人の欲を満たすというよりも、神様の教えが中心になっていた時代だったのです。

そこから、神様のいうことを聞くだけの生き方に疑問を感じて、科学というものの出現によって、神様という存在がだんだん力の概念にすり替わってきました。

そうして、精神と物質を分ける思想も生まれて、精神というものが置いてけぼりになり、物質社会化するようになりました。

人間の心は置き去りにして、物質主義、そこからくる、個人のエゴの拡大欲求によって、物質的な豊を追求する時代になったのです。

これは、個人という全体から切り離された状態で、孤独、寂しさ、悲しみ、不信が生まれるので、それを埋める行為が欲求ということになり、

欲求のために、どんどん自然破壊も関係なく、お金という道具を使い、私利私欲を拡大していく資本主義社会が生まれていったのです。

なので、資本主義社会、個人主義社会の仕組みは、

精神と物質というのを分ける思想。(デカルトの2元論)

そこから、物質、という自分の体という全体から切り離された状態を作る。

そして、この体の自分は全体から切り離されているので、孤独であり、寂しく、そして悲しく、不信になる。

そういった「満たされない」状態を作り出すのが資本主義社会ではとても大切であって、その満たされない状態を満たそうとする行為が、

「欲求」ということになり、その欲求を拡張させることが資本主義社会、個人主義社会の仕組みになります。

では、次回はもうすこし詳しく資本主義社会、個人主義社会について

語りたいと思います。

人間の生き方の「何が原因なのか?」③続く